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2019年1月31日木曜日

AIやロボットに囲まれて

私の家は個人的にロボットやAIにお金をかけていて、個人所有でペッパーもいれば、アイボも歩いている。 手のひらサイズのAIお喋りロボットもいるし、Arduino(マイコンボード)で自分でプログラミングしたセンサー類もジャンク品の様に置いてある。 水やりも、エアコンなどの家電も、AIやセンサーやスマホを組み合わせた物でコントロールしている。 水やりは、水圧でホースが抜けてなど散々な目にあっているので、畑に白菜しか植えていない今は稼働させていない。もうすぐ、昨年採集した種から苗づくりを始めるので、対策をしなくてはならないが、仕事の関係で中々時間が取れない。

期待しているブルーベリーの苗を3つ増やしたので、PHセンサーをプログラムして携帯で確認できるようにしたいのだが、、、、。 愚痴をいえば、ストレスの多い仕事を辞めて、小さな畑のAI化に集中したいくらいだ。 そういう小さい畑をAI管理する個人向けキットを販売してくれると有難いが、恐らく待っていれば5年以内に出るだろうと思う。 自動で野菜を作るといっても、野菜の成長をみたり、虫を駆除したりの早朝の営み、私にとって、手でいじることが大切で楽しく、この関係がAIやロボットとの共存であることに疑いが無い。

そんな話をすると、さぞ、裕福だと思われるが、皆さんが使っていることには、お金を使わない家だ。 我が家は、中学生はガラケー。 高校生は3万迄の初級スマホ。 3年使う約束。 そうでなければ、小学生の時の首からぶら下げるタマゴ型の、登録した5件だけにかけられる子供携帯を持って行けといってある。 だから、二人とも画面が割れたまま使っている。 バッテリーは、1度、中国のサイトで怪しい互換性電池を500円で買い変えただけ。

そして家族全員、SIMは5年前から格安SIMで、さらにファミリーシェアのタイプで安い。 この3年は5人で月額7000円台以上払ったことが無い。 しょぼい携帯だと馬鹿にされまくったらしいが、学生の身分では不自由が一番。 不自由が未来を産むことは、自身の育ちで知っている。 お金がないから、ラジオも壊れた電化製品から取り出した抵抗だとかトランジスタだとかで、図書館の本を見ながら作ったし、ギター少年の頃は音が歪むエフェクターも本を見て自分でハンダして作った。 秋葉原に電気部品を買いに行ったものだ。 そもそも、満たされていると、自分で作ろうとか知恵でなんとかしようと思わない。 ソフトは胴元となる作る側にならないと、ユーザーは胴元の手のひらで遊ばされて浪費する羽目になる。 ずっと、作る側になれと教えている。 

電気もオール電化で月1万円前後。 太陽光パネルなどの、寿命の怪しいものは手を出していないのでない。 家も小さく古いから断熱も大したことがない。 答えは簡単。 12畳程度のリビングダイニングに各自が寝るまで其処にいること。 各自の部屋があるが、電気消費は掛け算。 一カ所なら余分な電気はいらない。 子供たちの勉強もリビング、音楽もリビング、ゲームやスマホもリビング。 だから、我が家は、とてもお客さんを呼べる状態ではない、生活そのものの場になっている。 我が家へのお客さんと会うのは、近所のコメダコーヒー発祥の一号店と決めている。 熱帯夜は、4畳半の部屋だけクーラーをつけて全員で雑魚寝。 冬はガラスから冷えるので、雨戸の内側に発泡スチロールシートを貼ってしまい、さらに窓側に物を置いて出来るだけふさいでしまう。 ドケチではない。 プラスチックを使うなとか、環境に優しくと言う、口やマーケティングだけの”環境の人”たちと根本的に違った考えで、元々『環境に負荷をかけた快適は求めない』という経験から来ている知だけだ。

その代わり、違うことにお金を使う。 ロボットやAIは勿論だが、例えば、外食にはお金を使う。 なくなる物が一番だと思うから、高い物買う位なら、旨いものを食べる。 常に、購入場面では考えをそう切り替えて、買わないで使うという結論にする。 家族が捨てられない連中だから、物だと置く場所が足りない。 物を捨てられないというのは、人にプログラムされる類のもので、ごみ屋敷の根本と同じ。 捨てられる考えの良さは、ごみ屋敷をみれば、誰もが納得するだろう。 あれは人間の欲が凝縮されている。 また、美味しい物を食べられる期間は人生で意外と短い。 年齢や健康もそうだが、食料は人類で争奪戦の取り合いというのが現実だし、この先もっと。 まあ、元々ウナギは庶民が食べるものではないのに、誰もが食べられるようになった=裕福になったわけです。 粗末な食事、粗末な服装が当たり前だった時代に戻れば、皆、お金に苦労しないで、本当の豊さを味わえるのだが、みための”メンツ”が重要と思う高き志(?)が根底にあるのが日本人だ。

本など場所要りの典型で、私は、10回読みたければ、同じ本を都度10回買う。 読んだら、あげちゃう。 売りに行けばというけれど、ガソリン使っていくまでもないし、貯めて持っていくなら、結局本棚が必要。 知恵は多くの人に回る方が良いし、せっかく木を切り倒して紙を作っているのだから、私一人が在庫にしたら無駄そのものだ。 一時はアマゾンで電子ブックにして年間365冊を目標にして読んだが、これは機能が良すぎ。 サボり読みする。 読まないでポイントに線を引いて、後で、A4程度のポイント部分を要約として、WEBで見られるサービスを使ってしまう。 これは環境にいいかもしれないが、本の役割としての機能が減ったと判断して、半分は紙の本に戻った。 やっぱり紙の本は人にあげられるから良い、在庫しなくていい、知恵が広がるからいい。

下の子が中国サイトで凄い性能の携帯を見つけてきた。 同じレベルなら日本では10万クラスだろうが、彼方此方の中国サイトを探しまくって、5万ちょっとで見つけられた。 いよいよ、ガラケー卒業だが、高校では3万円までの家庭ルールがある。 差額は、お風呂掃除を3年間して、都度50円のお駄賃を貯めていたものを使うという。 基本、お小遣いは働いた分しかあげないルールで育ててきた。 それなら、仕方ないと買うことにした。 中国携帯はバンドが違うなど色々あるが、一生懸命自分の格安SIMのバンドとあうのを調べていたので悪い方向にはいかないだろう。 コンビニの居ぬきで携帯電話を販売していて、若いマネージャーが更に若い営業にもっと売れ!辞めちまえ!とハッパかけている店で買うよりも、苦労して手に入れる携帯にこそ価値があるわけだ。

AIやロボットがある生活の中で、人間らしさの素晴らしさと、踊らされる虚しさと。 実は、囲まれているものは、AIやロボットではなく、自分の生活を見つめる目である気がする。 会社でもAIの開発を進めて1年半。 商品検索システムとして、その一部を開放したが、社内では業務支援として最近提供されているSaaSとは違う使い方で進めている。 私の持つ知識やジャッジメントを、若い子が使用できるような環境としてのAI。 若い子が自分の手を使う機会は残している。 儲かる会社なのは、利益を多くとっているからではない。 儲かると誤解して参入し、資産を失う人も多い。 値上げは通らないわ、数年後のクレームはあるわ、在庫は殆どが死ぬわ。 そもそも、同業者が廃業していったことをお忘れか。 日々、自分の手で実験を繰り返し、誰も考えつかない工夫を彼方此方に凝らして1円1円を生み出しているものです。

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 個人でレンタルサーバーを借りて、引っ越ししました。 結構、お金が掛かりますが、HPの自由度が増すので決意。 より、知識重視にしています。  張替えてんやわんや というブログ名です。 https://sya-cho.blog/ 是非、引き続きご愛好をお願いします。