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2016年10月5日水曜日

尾張産地の機屋さんの倒産

入社した頃は、会社にテキスタイル事業部があり、そこに配属されました。 私はレザーの企画開発というイメージを持たれている人が多いようですが、スタートはテキスタイルマンでした。
4年後には、そのテキスタイル事業部とレザー事業部が合併して、一つの事業部になりました。
テキスタイルはその頃には、売上も利益も出せない事業になっていくと簡単に予測できたと振り返ります。 テキスタイルで単一商品で月に数百反も売っていたのに、数年で数十反に落ち込んでいったのですから当然でしょう。 その間、同業も沢山廃業しました。 業界にいる人は、それら私の同業者の名前を思い出すでしょう。 あんな強敵が縮小し、倒産したのです。 我々が売り負けたのではなく、織物が売れなくなったのです。 価格を3割下げても、デフレに突入していきますから、比較的に安価で、汚れにつよいとされるPVCレザーにとって代わります。 一流のテキスタイルマンを諦めずに勉強を続けましたが、レザーの勉強も開始した悔しさを覚えています。

入社はバブル後で、既にテキスタイル産業は斜陽の筆頭。 その頃から毎年の様に仕入先さんの廃業の話があり、それで今日まで来ました。 倒産するたびに、他のメーカーで作り直し。 そこも潰れてまた、他で作る。 その繰り返しです。 今日もまた、同じことをしています。 その内、作りなおしも、やる所が無くて出来なくなるでしょうが、数が少なくても供給責任だとなれば廃業するかやるかしかありませんからやるわけです。 糸を作るワタも日本では作らなくなり、撚糸屋も糸商も廃業していきました。 椅子張りは、1メーカーで全部作ると勘違いしている人が多いですが、完全な分業です。 会社組織化していたものが、家内工業に戻り、殆どが一人か夫婦、親戚でやっています。 撚糸、染色、整経、織、修正、そのほか細かい色々全部です。 一つの会社を守るなどできません。 各家の借金も担保も、ご子息さんからの仕送りも、未来も肩代わりすることなど出来ないわけです。

そもそも、材料の根幹製造であるカネボウが無くなり、旭化成も繊維縮小し、東レも糸よりも、小売りと組んで製品に力を入れる。 デフレ環境下でグローバル化していけば当たり前のことです。 おおもとの糸供給がなくなっていくのですから、製造している中小の生き残りが厳しいのは当たり前です。 世の中で石炭をうってないのに、蒸気機関車のパーツを安く大量に作り続けるといっても、通らないのと同じ。 中小の繊維製造、機屋の廃業や倒産は、私がテキスタイルマンをめざしたその頃から始まっておりました。 当時、力のあった会社は、潰れていく会社を買い取る、または支援することで継続しようと頑張り、また投資することで残存者利益も考えたでしょう。 それでも、石炭状態です。 前でテキスタイルが売れないのですから、買い取りや支援は逆に、資金の底をつく速度をあげて、倒産廃業を早めていきました。 私一人の営業が、30数社のテキスタイルメーカーで、物を作り、お客さんにデリバリーしていた程あったのですが、一気に減ったわけでなく、毎年毎年、減り続けていったのです。

ワタのトン単位の買い入れから、撚糸、その在庫。 資金も想像つかないでしょう。 5000mで織ってたジャガードの注文は300mでも多いといわれ、細かくしないと売れない市場に代わりました。 いまでは100mという単位で織らなきゃならない状況ですし、そのコストを見れば採用されません。 ワタと糸の在庫だけで資金が止まる。 織っても、在庫。 最終加工しても在庫。 支援すればするほど、倒産に近づいて行きます。 今回倒産した機屋さんは、当時30億以上の売上あったのが、倒産時は3億です。 家内工業化して、スリム化も終わっていました。 当然、織物のメインであるカーテンを撤退して、負荷も相当へらして長生きした方ですが、メインのカーテンを撤退しても生き残れませんでした。 

アパレルのシーズン性と違い、椅子張りは長い間の製造となります。 機屋が減ると、供給責任が言われるので、同業者の皆が生き残った同じ所で作らなくては成らなくなります。 私の様に、全部引取り、支払も言われる様にする同業などありません。 皆自分の分で必至です。 残った機屋さんも、少々条件が悪くても仕事を引き受けないと数になりませんから、引き受けた分、また、負荷が増える。 お客さんが彼方此方で調達しているつもりが、製造現場は一緒という皮肉。 しかも、資金繰りを悪化させてしまう。 売手も仕入の値上げは余儀なくされるが、販売価格は繁栄されないの繰り返し。

集約しなくては誰も生き残らない状態ですよ、と訴え続けた7年のつもりですが、誰も覚えてない位、他人事にしか聞こえません。 あたりまえですが、業界のそうした時代的、経済的事情など、個々の理由です。 聞いても感心は生まれません。 危機管理はチェーンで考えても、実際にはチェーンではないということです。 私が自ら海外で織物を作っていることを多くの人が知っています。 それは、供給を止めないための手段で準備しているものです。 決して、自分が作っているから日本の産元さんから仕事を奪ったわけではありません。 

海外で作ったもので、産元さんが管理出来るものは、産元さんから買っていました。今回の倒産例も同じです。 余所は直接買って、私よりも安いとそれを持ち込まれることもしょっちゅうですし、私から買うと高いと何度も言われましたが、断固として産元さんから買っていました。 自分が売り負けても、マモルという意思で、それだけの支援・応援をしてきました。 海外製でも、5年10年と立ち、レベルが上がったので、希望価格で買い入れていました。 多くの似たような商品が、それより安く市場で出ましたが、それも我慢しましたが、心の中では市場価格に合わなければ、結局売れない、売れなければ、結局倒産してしまうと懸念はしていました。 テキスタイルマンとしてのまた、国内テキスタイルで育ててもらった恩返しは、親が死んだあとでは出来ないと、それでも腹をくくったものです。 私が腹をくくったことですから、理解されようがされまいが、どっちも腹を痛めるものではありません。 しかし、私が見捨てたという話がでたので、それなら、このブログを読んでねと。 思いがあってやったことほど、切ないものですね。 魂を持ったテキスタイルマンがどれだけいるでしょうか。


引っ越ししました。

 個人でレンタルサーバーを借りて、引っ越ししました。 結構、お金が掛かりますが、HPの自由度が増すので決意。 より、知識重視にしています。  張替えてんやわんや というブログ名です。 https://sya-cho.blog/ 是非、引き続きご愛好をお願いします。